ゲスト自己紹介(平田)3 新潟に腰を据えることになったもうひとつのきっかけ
平田:2012年のレーベルというのは、新潟にちょうど引越したくらいの時期です。自分のイベントによく出てくれたバンドが、もともとメジャーでやっていたけどインディーズに活動を移して「全国流通がなかなかできないんだよね」と言っていた。僕はレーベルもやってみたかったので、じゃあ、やります!と手を挙げた。もともとレーベルをやっている方に協力してもらって、うちのレーベルとしてリリースした。6組のコンピレーションCDをタワーレコードさんといっしょに出すという。ほぼ最初で最後ですけど(笑)。だからレーベルはあるんです。そんなに動いていないですけど。
そのコンピレーションCDのリリースも、新潟に腰を据えるきっかけになりました。
リリースしたコンピレーションを元にSHIBUYA BOXXというライブハウスでリリースパーティをした。今はもう売れている有名なミュージシャンにも出てもらったりして、250人くらい集客できた。それでも赤字になってしまって。ハコ代はみんなでリスクを分散する形で、僕が基本6割くらい、あとはみんな1割くらいづつというような配分だったんですけど、バックもないので、あんまり喜んでくれない感じになってしまった。お客さんも入ったし、自分が赤もかぶったんですけど……。
バンド側は今までプロダクションがついて活動してきた人が多かったので、満足な報酬がない事に納得してもらえなかったのかもしれません。そこで自分のやっていることにものすごく疑問がわいてしまったんですね。バンドを応援するためと思って、借金もして時間もおしまずいっしょに動いてきたはずだったのに、こんな感じになっちゃうのか?って。悔しくて情けなくて、当時素人ながら一生懸命手伝ってくれた妻にも申し訳なかった。完全な挫折を味わった瞬間だったと思います。そのとき1回心が折れました。
でも、しばらくこの事を考えつづける中で、やっぱり音楽を捨てられないって思いました。だから音楽の仕事をつづけるために、今までやってきたやり方を一回すべて捨てました。初心に戻り、規模を縮小し、新潟にコミットして、新潟の人達と向き合っていこうと。そうしないと何も始まらないなと。利害も無視して、自分が本当に成し遂げたいイメージを愚直に貫こうと決めました。