流浪のイベンター
池内:成り行き任せというか。俺も最初は〝ここに花があったら可愛いよね〟と言って、背景に花を置くようなことしかやっていなかったから。
本田:最初、万作さんは〝カンペ出ししたい〟とか〝美術やりたい〟とか言っていて。それがOTOTOYである事件が起こりまして、その後から否応なしに番組に深くかかわることになりました。それは、どういうことかと申しますと、8人でホーンを吹く人たちが防音も何もない教室でライブを……。
一同:(笑)。
本田:思いっきりフルで演奏して。上の階の人が〝何事だ?〟みたいになって、その日にオーナーが怒りに来て、〝防音のないところでライブやっちゃダメなんだ〟とはじめて気がつきました。それを機会にそのビルから会社ごと追い出されてしまって……(苦笑)。
永田:そうだったんだ(笑)。
本田:もともと引越ししようとされていたところだったから、〝まあ、まあいいよ〟とは言っていただいたんですけど〝本当にスミマセン〟って菓子折り3回持って行きました(笑)。そこから場所探しが始まって、友達のスタジオでやったこともあります。
永田:それが去年の今頃?
本田:そうですね。いや2014年かな? KORG(コルグ)のスタジオ――。
永田:ああ、そういう時期もあったんだ。 KORGはシンセサイザーのメーカーですね。OTOTOYでは結局何回くらいやったの?
本田:30回くらいやっていますね。KORGを1回だけ借りて、友達のスタジオへ行って、さらに必死で探して、西麻布のBULLET’Sがタダで貸してくれるというので、そこで配信していましたね。そこでちょうど1年間やって。で、その頃、『Red Bull Studios Tokyo』ができた。〝ああーっっ!!〟と思って。
関口:綱渡り感があるな。
本田:そうなんだよ!(笑)