「MUSIC SHARE」が新潟にできた理由

永田:前回の「みんなの談話室」のゲストでお招きした本田みちよさん。彼女は20人くらいの本当の音楽好きが集まったチームを母体に、自分たちが信じられる音楽を紹介するライブ番組をUstreamで流している。いろいろな人を巻き込んで、今は渋谷のRedBullのスタジオを借りて、そこから配信している。
で、彼女達は今「MUSIC SHARE東京」をやっているんですが、全国各地に仲間を募っているんですね。京都にも「MUSIC SHARE京都」がすでにできている。それは地上波のテレビがやっていたような東京中心という発想ではなくて、全国でそれぞれが地元主体で起こっていけばいい、それをゆるやかにネットワークできたらすばらしい、という考え方なんです。本田さんに平田さんを紹介したら「MUSIC SHARE新潟」が――、間もなくできるんですよね?

平田:そうですね。6月にはやる予定です。クルーはある程度はめどが立っていて、場所も押さえているので頑張りますって感じです。

永田:うん。そんなことが起こりつつある。今日、平田さんをお招きしたのは、それぞれのエリアでそこを大事にしてがんばっている人がいて、ゆるやかなつながりができていて、確実にそこで何か変ってくるんじゃないかなという、そういうサンプルとしていろいろなお話をうかがえればと思ったんですね。平田さんは、じつは「なんでも相談室」のお客さまでした。共通の知り合いの方がひとりいらして、その方の紹介で見えて、その頃がエッグマシーンやり始めたくらい?

平田:そうかもしれません。

永田:新潟でやるんだってはっきり――。

平田:そうですね。それを永田さんの前ではっきり言ったときです。

永田:覚えているのは――偉そうなこと言ったなと思うんですが――、MUSIC DROPという屋号でしたので、そういう方向でやるんだったら「新潟」を入れた方がいいんじゃないでしょうかとコメントさせていただいた(笑)。

平田:はい(笑)。ニイガタミュージックラボラトリーに「新潟」が入っているのは永田さんのアドバイスのおかげです。でも自分も「なんでも相談室」ですごくヴィジョンが開けて。
あとはその後に起こったことですね。TVに出演したこととか。岩船くんとロケでいろいろなところに行ったんですが、新潟、すごい面白いなって。元々好きだったのがもっと好きになって、演者もさらに好きになった。MUSIC DROP界隈でそういう空気感が自然にできてきた感じがあります。テレビ局の方々もすごく愛があって。番組は終わったんですが、未だに応援してくれます。いつかまた音楽番組が始められるように水面下でがんばっていらっしゃる。

自分がSHIBUYA BOXXで失敗して、考えを180℃変えた。自分のやりたいことをやりたい人たち「だけ」でやると。お金が離れて行くところもあるんですけど、そのぶん価値観の交換みたいなものが僕の周りで起こっている。
たとえば安全バンドの長沢ヒロさん(新潟出身)と奥様が経営しているChillin’mamaというカフェがあって、そこでイベントをやらせてもらった。そうしたら「平田くんの活動を応援するよ」って特別に音響機材を貸して下さったり。あるいはボイストレーナーの方が、MUSIC DROPが契約しているアーティストを「是非お手伝いさせて下さい!」と言ってくれて技術指導をして下さったり。「撮影するんだったらボランティアで手伝うよ!」とか「ライター、僕やりますよ!」とか。本当になんでそんな素敵な人達が力を貸してくれるのか謎なんですが(笑)。それがあったから MUSIC SHARE の方にも繋げていけるって思ったんです。僕がそういうやり方になっちゃうのもあるし、そういうのがいいという人だけが残ってくれる面もあるんですが。

新潟は農産物が豊富なんで(食べ物が)安いんですよ。家賃も安いし、生活がしやすい。だからそういうやり方が経済的にギリ成り立っている。あとは僕が仕事になるベースを増やしていければ、アーティストの方も徐々に、バイト9割だったのが、7とか、岩船くんもそうですけど、県外からくるときの移動費をもうちょっとフォローできるようにとか、そういうふうにはしていけると思います。